2011年5月24日火曜日

震災ボランティア

■ボランティア内容
【21日(土)】
 午前:雨天中止
 午後:民家の泥だし、納屋の整理

【22日(日)】
 午前:民家の泥だし のち 側溝清掃
 午後:側溝清掃



震災以降「ボランティアに行かなければ」という漠然とした使命感をもちつつも具体的な行動は起こしてなかったし、かといって精力的に山に行っていたわけでもなく。なんとなく日常を過ごしていた。そんなときに会のA久さんから募集がかかり、手を上げた。会からは11人が集い、2台の車で東松島市にボランティアに行くことになった。


気のしれたメンバーでの作業、しかもメンバーのほとんどは活動的な沢屋なので濡れや汚れを厭わない。1日作業と見積もられていた仕事も1時間少々で終えて次の作業に移る。限られた時間ではあったが効率よい仕事ができたと思う。


期間中、野次馬の例に漏れず海岸付近を見てきた。2ヶ月間報道され続けてきた状況そのものだ。百キロにおよぶ東日本の太平洋沿岸数がすべてこの光景だと想像すると復興の道のりは果てしないことのように思える。今回のボランティア作業はこの果てしない復興の道のりからすれば微々たる作業にすぎない。


微々たる部分にすぎない作業ではあったけど着実なものであることは確かだ。依頼主の方は我々の作業をみて「元気をもらった」とまで言ってくれた。そして最後は笑顔で送り出してくれた。
車で買出しに出かけた先のスーパーでは買い物を終えた主婦が我々がボランティアに来ていることを知って今しがた買ったばかりの惣菜をプレゼントしてくれた。
道行く人々が「お疲れ様です」とねぎらってくれた。


地域の人は見ているし期待しているし感謝している。


まだまだボランティアのすべき仕事はたくさんある。泥だしはむしろ、泥が乾燥しつつあるこの時期のほうが処理しやすい。


継続して活動していこうとおもう。

2011年2月6日日曜日

柄沢山~荒沢山~足拍子岳

■メンバー
私(リーダー)、S田さん
■タイム
2/5(晴れ)9:00スキー場出発~10:00スキー場トップ~12:00柄沢山~14:30 1148ピーク下(泊)
2/6(晴れ)6:50出発~8:40荒沢山~10:50足拍子岳~13:00土樽駅

土曜朝に自宅を出発。新幹線を利用して越後中里駅には8:30前に到着。スキー場のリフト利用を目論んでいた我々は出鼻をくじかれる。登山者は乗せてくれないようだ。結局ゲレンデ内を歩き、スキー場トップを出たのは予定より1時間遅れとなった。このゲレンデでは登山者の存在は珍しいのだろう。しきりにパトロールの方が声をかけてきた。

いざスキー場を出ると、トレースはなくワカンでスネ~膝のラッセル。2時間で柄沢山のピーク。晴れて気温が高く暑い。大規模な雪崩跡も無く雪のつき方も素直なようだ。

そのまま主稜線を南下する。東に曲がるところで稜線が細くなり、その手前でアイゼンに履き替える。ほそい稜線の急な斜面では安全を期してロープを出して私がリード。そのまま少し歩くと1148mのピークに出る。目の前には荒沢山がそびえる。コルまで降りることを考えたが、見る限り稜線はどこも狭く、テン場によさそうな場所は見当たらなかった。結局1148mピーク直下、雪庇が切れているところから降りて、斜面を半雪洞状態にくりぬきテントを張る。整地作業に費やした時間は1時間。スコップ1本にしては上出来といえよう。スノーソーが絶大な効果を発揮した。

翌朝は天気良好。コルに降りてからの登り始めすぐの小ピークの乗越に苦労。稜線を忠実に進めば膝程度のラッセルだが直上できずに巻くと藪の上のスカスカな雪の急斜面胸ラッセル。荒沢岳ピークまで2時間を要した。
荒沢岳ピークに到着して唖然。なんとトレースがある。カドナミ尾根から登ったパーティーの後だった。すぐ近くにビバーク跡があり、2~3時間のビハインドとみえる。結局このパーティーは姿を捉えるも、追いつくことはなかった。

荒沢岳の下りに入ると、いよいよ雪稜の様相を呈する。急な下降では、トレースができていることを良いことに上で私がビレーをしながら先にS田さんに途中まで下りてもらう。続いて私がS田さんのビレーでクライムダウン。そして立木から懸垂下降。そのあとはトレースを追うだけで特に厳しい個所はない。雪のつきかたがかなり素直だったことと、やはり先行のトレースの存在が大きい。

2時間で足拍子岳。ピークからは巻機の稜線や谷川岳、大源太山が一望。帰りの電車の時間が中途半端なので、それほど急がずに下山。古いトレースだが、スキーの跡もあった。