2008年8月26日火曜日

沢上谷と世界文化遺産

合宿も終わり、一息ついて沢に行こうと計画したのですが。
あいにくの雨で転進せざるを得なかった訳で。

その転進先はというと飛騨にあるO委員長の別荘。
去年も行ったのですが、なんとも立派なお宅。

すでに目的は宴会へと変更。

別荘到着が夜中1時過ぎ。
外は雨足が強くなってきた。
『残念だ~ 明日は登れないな~』といいながら、ついつい酒がすすむ。


■8月23日(土) くもり-雨

山を登る者としてはありえない8時起き。
なぜか雨は上がっている。
重い腰を上げて沢へ行くことに。

行き先は沢上谷。
読み方はソーレダニ。

この沢、去年も登ったのですが、いたく簡単なのです。
とにかくナメ、滑、ナメ。
とある記録には自転車で登れる沢と書いてある。
まさにそのとおりの沢。
それでいて見所もあってなかなか楽しい。
初心者を連れてくるにはもってこいの沢ですね。
いつもは写真撮る余裕ないのですが。
今回こそはバシバシ写真撮ろうかなと。
そうそう。実はXacti沢デビューなんです。


なにやかにやで入渓は11:30。

で、滝はというと、

こんな感じのナメなんです。さらさらと流れるというか。
他では見れない光景です。


誰か寝そべっています。

ほどよく釜あり。
釣果は小ぶりなのが1匹。


こんな大滝もある。

防水Xactiならではの撮影。

この滝は登れないので右から巻きます。
初めて来たときは左から巻こうとして行き詰った。

巻き道からの下降路にはFixロープがあった。
去年は無かったので。ガイド山行とかで取り付けたのだろう。

あとはずっとナメ。

こんな沢って見たことない。
ホントに自転車どころか車で沢登りできるよここは。

いろいろ遊んで寄り道して、車に戻ったのが3:30。
お手軽な沢だね。

なんとXacti。
沢デビューにして壊れた。
電源を入れるとディスプレーが真白に。
あ~ 修理代が痛い~



その夜は飛騨牛焼いて食って宴会。
翌日は焼岳ハイキングとかいいながらもその気はほとんど無い。

■8月24日(日) 晴れ

すっかり雨は上がっているが。
朝の予報では大雨・洪水・雷雨注意報。
ということで焼岳中止。

まったりしてから、世界文化遺産の白川郷でも観光しようという話に。
東海北陸自動車道が最近開通して、この別荘から40分くらいでいけるようになったと。

観光です。
なぜか雨全然降らない。

Xacti壊れたので写真も無い。


2008年8月21日木曜日

剱の裁き

雪と岩の殿堂剱岳は、雨と雷の殿堂でもありました。

お盆休みで行った剱岳。
合宿という位置づけで4パーティー計9名が剱岳入り。
パーティーごと期間やベースを変えて入山。
終盤は同じベースに3パーティー7人が集結。
同じ釜の飯を食った。
これぞ合宿の醍醐味。


剱岳


私が入ったのは、13日(水)~17日(日)の4泊5日。
Nリーダー、M女史、私の3人パーティー。

そしてこの期間中、ずいぶんと雨に祟られました。
時間にして4分の3以上雨が降っていたのではないかな?
しかも猛烈な雷雨がほとんど。
ボロテントでずぶ濡れになって惨めに過ごしたのもまた思い出。



■8月12日(火) 晴れ
  • 都内を夜8時半に出発。いつもより早めの出発。
  • 豊科ICは11時30分に降りる。ETC割引より時間を優先した。
  • 扇沢の駐車場は意外に空いている。つかの間の睡眠をとる。


■8月13日(水) 晴れのち雨
  • 立山黒部アルペンルートを経て室堂へ。ベースに向かって移動を開始する。
  • 正午、無線にてS-Mパーティーと交信。S-Mパーティーは1日早く剱岳入りしていた。チンネ左稜線終了点にいるという。
  • 真砂にベースを構え、この日は夜中の1時に行動を開始したとのこと。長次郎谷ですれちがい情報交換。
  • 午後3時くらいから雨に降られる。雨は一晩中続く。


■8月14日(木) 雨-雷雨
  • なんだかパッとしない天気。行動開始はヘッデン無しで行動できる朝4時40分。チンネ左稜線を目指す。
  • 池ノ谷ガリー、三の窓を経て左稜線取り付きへ。ここで無情の雨。
  • 他のパーティーは全員退散。我々も名残惜しみながらベースへと戻る。
  • 昼過ぎから猛烈な雷雨。10分程度の雷雨が何度も何度もやってくる。ボロテントの中は水浸し。
  • 4-5人テントに7人入って晩御飯のカレーを食べる。


■8月15日(金) 濃霧-晴れ-雨
  • 濃霧のためチンネ左稜線リベンジをあきらめる。
  • 午前中に天気が回復したので八峰Ⅵ峰Aフェースに向かう。取りつきで雨に降られる。Ⅲ級の壁がフリーで抜けられない。濡れているからということにしよう。
  • 夕飯準備中にまた雨。7人でマーボー春雨を食べる。

右からⅥ峰A, B, C, D峰


■8月16日(土) 雨-晴れ-雨
  • 登攀できる最後の日。やはり雨でチンネ左稜線は無理。
  • 午前中に天気が回復したので八峰Ⅵ峰Cフェースに向かう。
  • 下山時にはまたまた雨。ずっと雨。夜は雷雨。

今日は源次郎尾根もきれいに見える


A峰と長次郎谷


■8月17日(日) 雨-晴れ
  • 下山。
  • 雨が降ったり止んだり。ときどき日が差す。
  • 室堂発13:00のトローリーバス。
  • 黒部ダムの辺りではすっかり晴れている。
  • 温泉は薬師の湯、飯はすきや。
  • 帰京。


~ 雪渓の状況 ~

長次郎谷は熊の岩までは雪がびっしり。熊の岩より上方ではクレパスが大きく開いている。一見危険そうだが、実際は浅く、踏み跡もしっかりしている。上部は斜面が急になるが、12本爪のアイセンを蹴りこんで、ロックハンマー代わりに用意した沢バイルをついて容易に登ることができる。4本爪アイゼンなど前爪のないアイゼンを用意した人は下山で相当苦労していた。ここは重くとも前爪のアイゼンを用意したほうが無難だ。


~ 気温 ~

思いのほか寒い。軽量化を優先して寝具はシュラフカバーのみ。衣服については、上は薄手の長袖と防寒用の羽毛服下は薄手のパンツのみ。ちょっと寒かった。毎日カッパを着用して寝る。カッパを着用したのはテントの中がびしょ濡れだからという理由もあったが。。。
最後の晩にちょっと油断。羽毛服をびしょびしょに濡らしてしまった。でも他に着るものが無いから着干しで。体が濡れて寒い。カッパの外に着ればよかったのかな。


~ 事故・ヒヤリハット・その他 ~
  • K嬢、指に落石を受ける。幸い小石だったが、鋭利だったのでスパッと裂傷。治療を受けるも、これにてクライミング終了。
  • M女史、巨石を抱きかかえて墜落。フォローだったので大事には至らずも脚に打ち身、擦り傷多数。
  • Nリーダー、池の谷ガリーで岩雪崩に巻き込まれる。
  • 私、ヌンチャク残置。翌日回収。

~ 感想 ~

とにかく雨また雨そして雨。
これでもかというほどの雨。
空に悪態をつけば今度は雷雨。
富山では床上浸水があったそうな。
こちらはテント内プール状態。
テントで溺死なんて洒落にもならないのでバケツリレーで水をかきだす。

我々3人パーティーより先に入っている3パーティーは皆チンネ左稜線を登っている。
NリーダーもM女史も、チンネ左稜線に数年来の思いを込めて剱岳にやってきた。
それでもこの仕打ちか。
またくるぞ。


2008年8月12日火曜日

救出劇

第一報が入ったのは土曜日の午後8時を回った頃。
単独で沢に入ったメンバーからの下山予定の時刻を過ぎても下山の連絡がない。
単なる下山遅れか、はたまた遭難か。
事故に備えた体制を整えつつ、午後10まで連絡を待つ。


山岳会では、山行計画の事前提出と下山後の連絡を義務付けている。
連絡を受ける『下山連絡担当』は毎週、会のメンバーで持ち回りで受けもっていた。
提出された計画書によると、A沢を遡行したあとB沢下降することになっている。
下山予定時刻は午後8時。
周辺の情報によると、当日お昼過ぎには雷を伴う強い降雨があったとのこと。
安否が気遣われる。


この日、タイムリミットの午後10時を回っても下山連絡は無い。
下山連絡担当は、
  1. 警察に通報
  2. 遭難者の緊急連絡先に連絡
  3. 山岳会の会員に捜索の要請を行った。
会員への連絡方法はメーリングリスト。
メールを受信できる環境にいない会員は当然、連絡を受けるのが遅れる。
いち早く連絡を受けた会員5名が、その日のうちに現地入りすることが決まった。
翌日現地入りできるメンバーも10名程度集まった。


通常の土曜日であれば、ほとんどのメンバーは週末に山に入っているため連絡が付かない。
この日、これだけのメンバーが集まったのにはちょっとした理由がある。
翌週半ばから突入する長期休暇にあわせた合宿山行にむけて、皆準備に取り掛かり、今週末は山行を控えていたのだ。


会のメンバーによって結成された捜索隊は警察と連絡を取り合う。
警察では翌朝6時に捜索を開始するという。
夜のうちに現地入りしたメンバー5人は6時に捜索を開始できるよう準備を整える。
捜索方法も考える。


遭難の種類はさまざまだ。
道迷いか。そうであれば計画書で提出されたルート上では発見できない。
周囲の沢、尾根、すべてを隈なく探さなければいけない。捜索は長時間に及ぶだろう。

怪我などで移動できなくなったか。そうであれば、ルート上で発見できる可能性は大きいが、自立歩行が無理で搬出が困難になるだろう。


いろんな可能性を考える。
警察はルート通りにA沢を遡行しながら捜索を行うという。
であれば、会の捜索隊は下山ルートと考えられるルートから捜索を行い、日曜日に現地入りするメンバーは別の可能性のあるルートを捜索するのがよいだろう。


そしてつかの間の睡眠をとる。


翌朝、6時を過ぎても到着しない警察に業を煮やす。
6時というのは、捜索開始ではなく麓の駐在所の集合なので現場に6時に到着しないのは当然だ。

捜索開始の準備が整っている会の捜索隊は警察の救助隊と簡単に打ち合わせを行い捜索を開始した。
昨夜から現地入りしている会の捜索隊5人の編成は、1人がベースに残り、2人×2組で2箇所から捜索を行う。
連絡方法はアマチュア無線。

心配されるのは二次遭難。
捜索隊が遭難しては捜索の意味がない。
頻繁に連絡を取りながら、安全を優先して捜索を進める。

このエリアは初夏に沢登りに来た場所。
多少土地勘があったのはラッキーだ。
これから捜索しようとしたルートもそのとき通ったことがある。





捜索を開始して程なくすると、無線連絡が入った。
『発見!』と。
警察の救助隊が発見したのだ。
ほっと胸をなでおろしながら急いでベースに戻る。
思えばしかし、無線では安否については触れていない。

ベース戻ると残っているはずの一人も救助隊も誰一人としていない。
皆、A沢を遡行したのだ。
発見したタイミングからしても、そう遠くは無いはず。

捜索に当たった会のメンバー4人も、2人がベースに残り、2人が救助隊を追ってA沢を遡行した。

入渓して間もない、F1を越えたすぐ、F2の手前に全員が集まる。
そして遭難者。

意識はしっかりしている。顔面からは大量の出血。腕を上げるのが精一杯で自立歩行は不可能だ。
救助隊は担架を運び込む。負傷者を乗せ入渓地点まで運び出す。

入渓地点の道路にはすでに救急車が待機している。
救急車は負傷者を乗せると病院に連絡してヘリを要請。
近くのヘリポートに移動し、負傷者をヘリに移す。

まだ現地入りしていなかった会のメンバーには解散の連絡を入れる。
現地入りした5人は病院に移動する。
負傷者の家族には連絡を入れてあり、すでに病院に向かっているという。

家族と共に医師からの説明を聞く。
脳に少量の出血、右目付近の裂傷以外は大きな損傷は無いとのこと。
容態が急変しない限りは1週間程度で退院できるとのこと。
意識はしっかりしていたので面会もできた。


本人の話によると、入渓してまもなく、F2を巻き上がり沢に降りようとしたところ足を滑らせて滑落したそうだ。
川床には足からおちたが、勢いあまって体が回転して頭を打った。
時刻は朝の8時頃か。
意識が絶え絶えのなか、しばらく歩いたが途中で横になっていつの間にか眠ってしまったそうな。
目が覚めたときはすでに真っ暗。眠れぬ夜を過ごしたという。
実に丸一日、負傷したまま横になっていたことになる。


2008年8月4日月曜日

幽ノ沢中央ルンゼ

幽ノ沢中央ルンゼに行ってきました。
幽ノ沢は谷川岳に突き上げる一ノ倉沢のとなりの沢になります。

土曜夜発、日曜日帰り。泊まりはホテル谷川(通称)で荷物は最小限に。
1台の車に7人乗りという離れ技です。

都内発が夜9時前。
谷川入り11時過ぎ。
ちょっと飲んで翌朝は6時前に出発。幽ノ沢出合に移動です。

すれ違ったクライマーの情報によると、出合からすぐの雪渓の状態が悪いらしい。
彼らは一ノ倉へ転進。我々は見てから判断ということで。

幽ノ沢出合からは展望台と呼ばれる小ピークが見える。




雪渓の状態が悪い場合はこの展望台に一回登って懸垂下降で沢に降りるとのこと。
覚悟はしていたのですが、偵察の末、沢通しで歩くことができました。


いつ崩れるやも知れぬ雪渓。危険な箇所は短いのですが。


雪渓の先には大滝が。ここはノーザイルで抜ける。


大滝の登り。完全に沢登りですね。



大滝を抜けた二股は左へ。ここはロープを出してユマーリング。

きれいな小滝が連続して沢登りの気分。
濡れたくないので全部巻きますが、、、

釜がある小滝を左から巻く。
その後延々と藪漕ぎ。
これでもかというくらいの藪漕ぎ。
稜線に出ちゃうんじゃないかというくらい藪漕ぎ。
沢の詰めでもないのに。。。
これから登るのに。。。

木に登って藪の隙間から右手の沢を覗き込むとなにやら雪渓が見える。
沢は雪渓で埋まっているようだ。

さらにひたすら藪を突き進むと急に視界が開ける。
なんとそこはカールボーデン途中。
眼下には雪渓。
すぐ目の前には滝沢大滝。
中央ルンゼはすぐそこ。
見事なアプローチ藪漕ぎ。


今までのクライミングとなんか様子がちがう。
うるさい虫がいない。
涼しい。
空にはたくさんのトンボ。
ほんのちょっと蒸しているのをのぞけば秋の天気のようだ。


取り付きまでは傾斜の緩いスラブを登る。
取り付きは短い垂壁のすぐ手前。
傾いたテラスでロープを結ぶ。
編成は、
  • K嬢 - I原氏
  • Nリーダー - G姉
  • I先輩 - S姫 - 私

3パーティーで中央ルンゼを攻める。


補強用に打ったハーケンは抜けないので残置しました。
しっかり効いているのでお使いください。


I先輩 - S姫 - 私の3人パーティーは最後尾。
核心手前までは私がリードすることに。

1P目、短い垂壁。
ここはライン取りで難易度が大きく変わりそう。
先頭のI原氏はテラスから直上、垂壁の中では左端を登った。
ちょっと悪そう。
私はテラスから右に出て垂壁の中央やや左を登る。
丁寧に登らないとちょっと恐い。
支点のカムもあんまり効いてなさそう。

フォローのビレー。
2人同時確保は実は初めて。
ロープがぐちゃぐちゃです。


2P~4P、スラブ。
傾斜が緩くて難しくはないんですが、超ランナウト。
緊張します。
ちなみに3P目はノーピンです。


ハーケンの打ち方で反省。
Nリーダーが補強用にハーケンを打った。
その同じリスにハーケンを打ちました。
ハーケンがちょっと厚かったんですね。
リスが開いてしまい、Nリーダーが打ったハーケンが抜けてしまいました。
足場が安定していたので大丈夫でしたが。
同じリスには打たないようにしないと。


ここでI先輩にトップ交代。
核心よろしくです。



大ハング下、右へトラバースしてカンテを登るんですが。
先行パーティーのK嬢、痛恨のルートミス。クラックの入ったフェースを直上。
なのに神がかり的なリードで登ってしまった。

I先輩も同ルート直上。
私はフォローでも登れませんので右にトラバースです。

核心のA1ピッチを抜けて、あとは緩いスラブをちょっと登って終了。午後4時。
ずいぶん時間がかかってしまった。

堅炭尾根、芝倉沢を経て下山。
芝倉沢は雪渓が残っていたが、幸い危険な箇所はなかった。
なんとか明るいうちに芝倉沢出合に到着。午後7時。

ヘッデンで一ノ倉沢の駐車場まで戻る。駐車場を出たのが8時過ぎ。
楽しみにしていた温泉も抜きで帰京。
それでもG姉の終電には間に合わなかったよ。


7人で1台の車に乗った甲斐がありましたよ。
交通費は往復で2,200円。
もちろんETC割引もフルに活用。
ガソリン180円オーバーの時代にエコノミーですね。
エコノミー症候群には要注意ですが。